トヨタ産業技術記念館は、トヨタの歴史を保存しているだけではありませんでした。

貴重な建築物も保存していたのです。
それらを、今回紹介させていただきます。

豊田紹介 事務所(1905年・明治38年)

豊田佐吉さんが、研究室として没頭された建物がこちらです。

100年以上経っていますが、今でもこのような建物は結構残っているように感じます。
お手入れがしっかりとされているからだと思いますが、キレイで立ち姿もしっかりとしています。

玄関周りも良いですね。

この時代の建物の基礎がどのようになっていたのかが見えないことが残念。

耐力壁と思わせる壁など一つもありませんが、当時の建物には耐力壁という考えは無かったのかもしれません。

建築に関する法律は1920年頃(大正8年・関東大震災が大正12年)にできていますので、自由に作れた時代です。

保存のために移築されたのが1994年だそうです。

トヨタグループ館 豊田紡織本社事務所 (1925年・大正14年)

豊田紡織本社事務を当時の状態に修復した建物です。

ここが、豊田佐吉さんが発明の足場とした、トヨタグループの発祥の地でもあります。

当時は、このような事務所が多かったのでしょうか。

ニューヨークのエンパイア・ステート・ビルディングが完成したのは1931年。一番高い部屋の床面が373.2m。比べること自体がナンセンスですが、当時のアメリカの国力と、その後の日本の発展を感じることができます。

門柱(1926年)

誰も見ていなそうな展示物なので、あえて掲載。

1926年に刈谷に建てられた豊田自動織機製作所の正門に建てられた門柱です。
奥の建物は、また別な建物です。

なんと言いますか、懐かしい感じですね。

トヨタ産業技術記念館の側面

トヨタ産業技術記念館は当時のレンガはそのままに改築をして作ってあります。
その様子がよくわかるのがここ。
駐車場横。

レンガ上のグレーの部分が建築部。

木組みの展示も

織物と車関係だけかと思ったら、「木組」が特別展示されていました。

木組とは、木造建築の際に木と木を組み合わせたり繋げたりする時に使う技術です。

さすがトヨタ。
良いセンスしていますね。

大阪城 大手門継手

一見シンプルに見えますが、長年謎だったのがこの継手。

1923年(大正12年)に施されたそうなのですが、どのように作られたのかわかなくなり「謎掛けの継手」と呼ばれたそうです。

解明するためにX線まで使い、斜めに差し込むとわかったそうです。

凄いな、この大工さん。

河合継手

どこかのお土産屋さんで見そうな木のオブジェ、ではなくてこれも立派な継手です。

この形とかによっても強度な度が変わってきます。
何を狙ってこのような形にしたのでしょうか。
見た目?

箱台持継ぎ・のげ継ぎ

これらの継手は、美意識が出てきたのではと説明されています。

時代は室町後期(15〜16世紀)、長押や茅負などの化粧材に見た目を意識した繊細な継手仕口を見つけられるのだそうです。

丸太を縛る

建物継手の原型かもしれませんね。

時代は不明?なのか説明がありません。

錦帯橋

山口県にある錦帯橋の一部が再現されていました。

橋を木で作るために、柱を無くし張り出せるように出来ている構造が特徴です。

柱を使わずに、36mもの長さを維持しているそうです。

なかなかこの構造を理解するのは難しい。
中にあるトラスっぽい木組は何のために付いているのでしょうか。
横からの応力には弱そうな気もしますが。

洋風の木組み

洋風の木組みも展示してありました。

こちらもキレイですね。

日本の木組は直線が多いのですが、こちらは木を削って曲線を出しています。

日本と、デザインが全然違いますね。

パートナーロボット

ロボットがバイオリンを弾いてくれました。

「威風堂々」とか、何曲か弾いてくれました。

お土産屋さんの前なので、買い物しながら聞くのがちょうど良い。

というわけで、「トヨタ産業技術記念館」もこれで最後です。

2時間ほどしか見れなかったのですが、私にとっては1日ゆっくりと見たいほど濃い博物館でした。

矢場とん

名古屋といえば名物がいくつかありますが、夕食には「矢場とん」に行きました。

ちょっと贅沢して、美味しくいただきました。

今年は、何回か名古屋に行くことになります。
面白い場所が見つかりましたら、紹介させていただきます。