100年前の建築界に、このような波があったなんて知りませんでした。

その波を知ったのは、私の本を教科書に採用してくれた大学の先生からの1通のメールでした。

メールに添付されていた図がこちらです。
不思議な、でも懐かしいデザイン。

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「ブンリ派」。

何それ?
と言う思いとともに、展覧会を開催している、「パナソニック 汐留美術館」に行ってきました。

分離派建築会 100年展

場所は、新橋駅から徒歩10分ほど、パナソニックのショールームのがあるビルの4階。

撮影禁止なので、中や展示物は撮影できませんでしたが、とても興味が沸いた展示会でした。

分離派とは?

時は1920年(大正9年)、建築業界にも新しい波が来ました。

新しい波とは、構造や材料など、新しい考えがどんどん出てきました。
鉄筋コンクリートや鉄骨造の建物などの事です。

エッフェル塔開業が1889年ですから、日本にもそれなりの建物ができていたのでしょう。

その発端は、1914年、辰野金吾(東京駅など)が美術偏重の傾向に釘を刺し、構造の重要性を指摘した事が発端だったようです。

その後、野田俊彦が「建築のような実用品に美は不要だ」と言い切ります。

辰野金吾は、そこまで重く考えていなかったようですが、建築における実用か芸術かという議論が激化するきっかけになりました。

その閉塞感や過去から抜け出そうと動き出したのが「分離派」です。

説明には
「『過去建築圏からの分離』を掲げて船出した」
とありました。

6人で活動を始めたのですが、意匠を専門にする人、構造を専門にする人が集まり、新しい波を作ろうとしました。

それが1920年です。

熱い葛藤の中で生まれた言葉を紹介します。

古い者は新しい者を罵りながら、やはり、一種の不安と恐れを抱く
新しい者は、古い者をけなしながら、やはり一種の執着を感じる
矢田 茂
築を史的研究と離して、全く科学の法則化にのみ依拠せしめるなら、恐らく人間の生活は単なる機械として生命を失うに至るでしょう。
藤田 周忠

活動期間は7年間。
1927年に開催された7回目の展覧会が最後となります。

1920年〜1930年代の建物たち

紫烟荘 1926年 堀口 捨巳作

堀口 捨巳の最初の作品集も作られたお家。
2年後に消失してしまったそうです。

可愛いですよね。
今なら、藤森さんとかのテイストでしょうか。

この写真には映っていませんが、丸窓も多用されています。

吉川邸 1930年 堀口 捨巳作

この写真を見ると、今できたとしても豪華な邸宅と思わせる佇まいです。

コルビジェのサボア邸は翌年完成ですから、日本でも当時はこのような建物があったと言う事がわかります。

聖橋 1927年 内務省復興局土木部橋梁課

お茶の水で見る事ができる有名な橋ですね。

この橋が完成したのが1927年。

連続のアーチ(曲線の部分)は「パラボラ」と呼ばれ、力学由来のものではなく、デザインによるものです。

それが、分離派が表明した「建築は芸術である」と言う言葉の象徴的な造形です。

このパラボラ(連続したアーチ)はデザインのために作られているため、1.37mの奥行きしか無いそうです。

設計には、物議をかもした「京都タワー」の設計をした山田守(武道館など)が参加しています。
京都タワーの完成が1964年。
現状打破の精神があるのがわかりますね。

千住郵便局電話事務室 1929年 山田 守

聖橋に続いて紹介するのが「千住郵便局電話事務室」

この建物も聖橋と同じ山田守さんの設計です。

水平なラインが象徴的です。

1階部分には裏側に自動車でも抜けられるトンネルが開けられていたそうです。

山田守が海外視察に行ったときにコルビジェに作品写真を見せたそうですが、最も褒めていたのがこの建物だそうです。
デザインだけでなく、交通を建築内に引き入れるコンセプトが受けたのでしょうか。

東京朝日新聞社 1927年 石本 喜久治

この建物を見ると、様々な要素が取り入れられているのがわかりますね。

内部には、リベットが打ってある鉄骨剥き出しの柱が見える部屋もありました。

写真は上から見ているのでわかりにくいですが、下から見るとどのように見えたのでしょうか。

と言うのも、明らかに上に行くほど窓が小さくなっていますね。
これは、建物を大きく見せるときに利用するテクニックなのです。

例えば、ディズニーランドの建物は、高い所ほど小さく作っています。
これは建物を、より大きく見せるために、あえてそのように作っています。

興味深いですね。

分離派とガウディの違い

パラボラを見て、もしかするとこのような建物を思い出した方もいらっしゃるかもしれませんね。

そう、サグラダファミリア。

ガウディが設計した教会です。

独特の形で、他では見られません。

では、なぜガウディはこのような形にしたのでしょうか?

それは、この建物をつくるときに、その力の流れを考えたためなのです。
その模型なども残っています。

デザインよりも、必然だったのですね。

この辺りは、分離派と全く違っているのです。

子供たちへのお土産は、この手帳

子供たちへ、この手帳を買ってきました。

かっこいいですよね。
喜んでくれたかな。

東京中央電信局 1925年 山田守

青い手帳の建物は、今まで何度も出てきた山田守の設計です。

山田守さん、聖橋から、武道館、京都タワーと、多様な建物を建てていたのですね。

屋上には、庭園があったそうです。

分離派は、これからの住宅業界か!

この展覧会が興味深い理由は、まさに今の住宅業界がこのような感じだからです。

最近のお家は、構造も断熱も良くなってきました。

しかし、それらを実現するには形の制約も大きく、自由度が減ってしまう現実もあるのです。

ある大手住宅街者の開発担当の方に聞いたのですが

「当社の欠点は、カッコ悪い事だ」

と言っていたことからも言えるでしょう。

伊礼智さんは、形が似てしまう事に悩んでいると言っていました。

これからの建築業会には、何が来るのでしょうか?

「分離派建築会 100年展」は東京で

「分離派建築会 100年展」は、パナソニックのショールームがある建物の4階で開催されています。

会場:パナソニック 汐留美術館
 新橋駅から、徒歩8分

入場料:大人800円
 ホームページに割引のボタンがあり、100円引いてくれます。

誰にでもおすすめ!
と言う展覧会ではありませんが、興味のある方はぜひ足を運んでください。

特に、こちらで販売していた「ブンリ派」の解説本は面白いです。

参考文献:

分離派建築会 100年展 カタログ 発行:朝日新聞