サン・ファン館 宮城県慶長使節船ミュージアム に行ってきました!

サン・ファン館の近くは、石巻の雄鹿半島にある鮎川に行くときに何度も走っていたのですが、行ったことは無かったのです。

でも、今年はどうしても行きたい!

と言いますか、今回の東北旅行のメインの目的と言っても過言ではない程。

と言うのも、ここに展示してある帆船のサン・ファン号が、2021年3月末で解体されてしまう事になったのです。

今回が、見れる最後のチャンス!
逃すわけにはいきません!!

と言うわけで、見てきました!

サン・ファン号

以前は、もう一つ下のフロアに行けて、船の中にまで入れたそうです。

しかし、ここも津波の被害が大きかった。

写真の左側に青い看板があります。
その看板の1m下まで津波が来たのだそうです。

そして、船は8mも持ち上がり、多くの場所が壊れました。

一度は治したのですが、痛みは完治しませんでした。

そうこうしているうちに、船を治せる人もいなくなってしまったのです。

そこで、残念ですが解体することになったのだそうです。

この船に乗って、アメリカに渡ったそうです。

実際に見ると、迫力がありますね。

船長室はこの辺り

船長室は、この辺り。
船尾にあります。

映画の海賊船にあるような窓はありませんでしたが、開閉式の扉などを見ることができますね。

船のベッド

船のベッドがこれ。

小さいのは仕方ないとして、意外と短い。

昔の人は、背が小さかったのでしょうか。

1613年、ローマを目指す!

時は1613年10月28日。

サン・ファン号は、ローマ教皇パウロ5世に謁見するために月浦(雄勝との説もある)を出港しました。

その場所が「サン・ファン館 宮城県慶長使節船ミュージアム」の近く。

伊達政宗がメキシコとの直接貿易をすることを考え、許可をえる目的だったようです。

90日をかけて、メキシコのアカプルコに到着しました。

その後、一行は日本人として初めて大西洋を渡ることになります。

ヴァチカン宮殿でローマ教皇パウロ5世に謁見したのは、1615年11月3日。

片道だけで、2年もかかっています。

どのような旅だったのでしょう。

なぜ、石巻が出発点だったのでしょうか?

ところで、なぜ石巻が出発点だったのでしょうか?
疑問に思いませんか?

その答えが、武田鉄矢さんのラジオにありました。
ちょうど、この時代の歴史について話していたのです。

その理由とは「編西風があるから」だそうです。

編西風とは、西から1年中同じ方向に吹いている風です。

編成風のあるところを航海すればアメリカまで早く行ける事になります。

400年も昔に、そのような事まで分かっていたのですね。

なぜ、西に向かわなかった?

地図を見ると、西に向かった方が近いように見えますね。

なぜ、東に向かったのでしょうか?

一つの答えは、編成風でした。

もう一つ、答えがありました。

それは、海賊が出るから。

アジア圏は島の多い地域がたくさんあります。

その辺りは、海賊も多く危険だったようです。

夜には、ライトアップ!

夜には、ライトアップを見ることができます。

と言っても、上の方からだけなのですが、とってもキレイでしたよ。

金色に輝いて見えますね。

この船を解体した後には、小さい船を代わりに作るのだそうです。

それにしても、公園の横にあった不思議なオブジェは何だったのでしょう。

岡本太郎っぽいようなエバンゲリオンニでも出てきそうな、不思議なオブジェでした。

帰りには、牛タンに鯨のお肉!

帰りには、石巻で牛タンに鯨のお肉をいただいてきました!

このお店は、昨年行って美味しかったので、今年も行ってしまいました!

名前は「牛たん炭焼 利久 石巻山下店」

牛タンが厚切りで、歯応えがとても良いのです。

鯨の肉は、尾っぽの方で、脂が乗っています。
ちょっと脂っこいので、普通の方がよかったかな。

これで大体終わりなのですが、本来の目的は次回のブログで書かせていただきます。