石巻に着いたのは、午後3時過ぎ。

今まで何度も見てきた「石巻市立 門脇小」が、震災遺構として見学できるようになったというので見てきました。

ここは、震災のあった年に紅白歌合戦で長渕剛が歌った場所。
あの照明が忘れられません。

今までも何度か紹介してきましたが、外観が随分と変わっていました。

それというのも、この学校は火災で焼失してしまったために、煤で黒くなっていたのです。

時が経ち、雨で流されたのでしょうか白くなっていました。

石巻市震災遺構門脇小学校

ここもしっかりと見学ができるようになっていて、施設も学校の隣に作られていました。
この建物は、日経アーキテクチャーなどでも紹介されています。

学校の中へ

学校の中へ入る前に、このような場所があります。
津波の被害があった高さを示しています。

これだけを見ると、津波は1階の半分くらいしか達していません。
それほど酷くないのでは、と思わせてしまいそうですが、違ったのです。

廊下は、綺麗に整備され、窓から中が覗けるようになっています。

教室の中は、火事で燃えたまま黒く残されていました。

津波なのになぜ火事なのでしょうか?

それは、燃えた家財や車が津波によりこの学校に押し寄せ、学校に燃え移ったのだそうです。

この窓から見えた街並みの写真がありました。
見えている方角は違いますが、こんなに家があったのです。

今、建物からは、このような風景を見ることができます。

特別教室

焼失した本校舎の裏側には、特別教室がありました。
こちらは津波や焼失から逃れ、キレイなまま展示室として利用されています。

色々な思い出があったのでしょうね。

逃げられなかった学校

この学校に避難していた方などは、裏山に逃げようとしました。
ところが、崖があり避難ができないことがわかったのです。

その場所がこちら。
校舎と山が離れています。

こちらのコンクリートの擁壁も登ることができませんでした。

しかし、ここ以外に逃げる場所はありません。

そこで、教壇を持ち出して、上の写真は橋として、下の写真は梯子として利用し逃げることができたのだそうです。

予測されていた大きな津波

ここの展示の一つに、津波の歴史があります。

地中の土をとって、いつ頃どの辺りまで津波があったのかを調べていたのです。

ここでは、実際の土と、調べた場所を示す地図が展示されていました。

津波が起きるかどうかは、東日本大震災の数年前に調査結果でわかっていたのだそうです。

しかし、公開する前に津波が来てしまったと言っていました。

さぞ、悔しかった事でしょう。

ただ、調査結果を発表したからと言ってどれだけの対策をしたのか、当時の政府にそれをどれだけ期待できたのでしょうか、疑問です。

仮設住宅

仮設住宅が、体育館の中に転移してありました。

窓ガラスは2重になっていたりしていましたが、なんとなく寒々しい建物でした。

畳も敷いてありますが、隙間は発泡スチレンのようなもので埋められていました。

今まで聞けなかった声

この施設が今までと違っていると感じた所は、被災者の声を多く展示していた事です。

特に、ビデオの中でも顔を出して話してくださっていることには驚きました。

その話は、このような内容でした。

「SNSに、避難している人を助けるのを途中でやめて逃げた人がいる、という書き込みがされ問題になりました。
その時逃げたのは、私です。」

今まで、このような事は言わない、聞かない、見ない、というような事をしていました。

プライバシーの問題もあり、私も注意していたのです。

でも、将来に伝えていくために勇気ある発言をしてくれています。

このような声も展示しています。

忘れがちですが、あの事を思い出すためにとても参考になる言葉です。